こんにちは。弁護士の石井政成です。
このブログ「ココステップ」では、法律という物差しだけでは測れない、皆さんの心の内にある想いに寄り添いたいという願いを込めて、言葉を綴っています。
私は弁護士事務所で10年間、様々な人生の岐路に立ち会ってきました。
その中でご相談者様が発する言葉で、私も聞いていてもっともつらいなと思う言葉ありました。
それは

私の人生って、なんだったんだろう
という言葉です。
そこには怒りや恨みよりも、長い年月を誰かのために使い続けてきた人だけが感じる疲れが滲んでいました。
もしかしたら、あなたも似たような気持ちを抱えて、このページにたどり着いたのかもしれません。
・はっきりした理由はないけれど、なんだかもう限界かもしれない
・誰にも話せないけれど、このままじゃ自分が消えてしまいそう
そんな声に、少しでも寄り添えたらと思い、今回は、これまで私が出会ってきた方々の物語をご紹介します。
あなたと似た境遇、共感できる感情が見つかるかもしれません。
ぜひ、最後まで目を通してみてくださいね。

明美さんはいいわねえ、お子さんももう大学生で手がかからなくて。
悠々自適じゃない。
近所の人にそう言われるたび、私は曖昧に笑って「そうですねえ」と答える。

悠々自適?冗談じゃない。
この、胸が押しつぶされそうなほどの静寂と孤独のどこが「悠々自適」だっていうの。
朝、夫を「いってらっしゃい」と送り出す。
玄関のドアが閉まる「カチャン」という音が、一日の始まりの合図であり、同時に、私の役割の「終了」を告げるゴングのように聞こえる。
そこから始まる、長い、長い一人の時間。
かつては、子どもたちの世話や学校の用事、ママ友とのランチで、あっという間に過ぎていったはずの時間。
それが今は、ただただ重く、私にのしかかってくる。
掃除機をかけて、洗濯物を干して、夕飯の買い出しに行く。
やるべきことは、ある。
でも、そのどれもが、昔のように「家族のため」という張り合いを感じられない。
ただの作業。まるで、色のない映画を繰り返し見ているみたい。

私がここにいなくても、世界は何も変わらずに回っていくんだろうな、なんて思う。
息子が小さい頃は、本当に必死だった。
熱を出せば夜も眠れず、運動会では一番前でカメラを構え、反抗期には泣きながら向き合った。
私の20年間は、すべて「母親であること」に捧げてきた。それが私の生きがいであり、誇りだった。
でも、その息子が家を出て、自分の世界を生き始めた今、私はどうすればいいの?
夫は彼は私のことなんて、見ていない。
会話といえば「今日の夕飯なに?」「明日の朝、早いから」そんな連絡事項だけ。
私が一日、誰とも話さずに過ごしたことなんて、想像もしていないんだろうな。
「お前は家でのんびりしてていいよな」なんて、悪気なく言う。
その一言が、どれだけ私の心をえぐるか、彼は知らない。
わかるよ。夫も仕事で疲れているのは。
でも、私だって、この家で、この孤独と戦っているのに。
「お疲れ様」の一言がほしいだけなのに。
それすら、もう何年も聞いていない気がする。
先日、息子の部屋を掃除していたら、本棚の奥から古いアルバムが出てきた。
若い頃の私と夫が、笑って寄り添っている写真。
あの頃は、未来がキラキラして見えた。
まさか25年後、こんなに心が乾ききった毎日を送ることになるなんて、夢にも思わなかった。

私の人生、なんだったんだろう
写真の中の若い私に、そう問いかけてみる。
ただ、涙がぽろぽろとこぼれて、アルバムの上にシミを作った。

このまま、夫が定年を迎えて、一日中顔を突き合わせる生活が始まる?
考えるだけで、息が詰まりそう。
この虚しさは、時間が解決してくれるものじゃない。
むしろ、この気持ちに蓋をして見ないフリをすればするほど、心はもっと深く、暗い場所に沈んでいくだけな気がする。
このままじゃ、ダメだ。でも、どうすればいいのか、わからない。
2 由紀子さん(52歳・パート主婦)-「誰かのため」に諦めた夢が、今になって私を責める
「ピッ。…ありがとうございましたー」

スーパーのレジで、今日も何百回と繰り返す言葉。
お客さんの顔なんて、もう覚えていない。
ただ、流れてくる商品をスキャンして、カゴに詰める。
私の時間は、時給1050円に換算されて、淡々と過ぎていく。
先日、偶然フェイスブックで、大学時代の同僚の投稿を見つけてしまった。
彼女は、私と同じ商社に一般職で入社したはずだった。
でも、投稿には「〇〇部長就任のご挨拶」と、パリッとしたスーツを着て、自信に満ちた笑顔でスピーチする彼女の写真が添えられていた。

その瞬間、心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走った。
すごいな、頑張ったんだな、という気持ちと同時に、黒くてドロドロした感情が、胃の底からせり上がってくるのを感じた。
「もし、私が仕事を辞めていなかったら…」
結婚して、長男を妊娠したとき、夫に言われた。

子どもが小さいうちは、母親がそばにいてやるのが一番だ。
俺が稼ぐから、お前は家のことをしっかりやってくれ
当時は、それが当たり前だと思っていた。
私も、それが「母親の務め」だと信じて疑わなかった。
大好きだった仕事に未練はあったけど、「子どものため」だと言い聞かせて、退職届を出した。

それから20数年。
子育てが落ち着き、家計の足しにと始めたパート。
でも、そこにあるのは「やりがい」じゃない。
「〇〇さんの奥さん」「〇〇くんのお母さん」という役割から解放される場所でもない。
ただ、「時給1050円の労働力」としての私だけ。
パートだって立派な仕事。社会の役に立っている。
でも、どうしても比べてしまう。部長になった彼女と、レジを打つ私を。
彼女が何千万円というプロジェクトを動かしている間に、私は10円安い卵を求めてスーパーをはしごする。
夫は、私が働くことを快く思っていない。

そんなはした金稼いで、疲れた顔するくらいなら、家にいればいいのに
そう、彼は言う。
私が稼ぐ月8万円は、彼にとっては「はした金」なんだ。
でも、その8万円があるから、子どもの塾代が払えて、少しだけ自分の好きな服が買えるのに。
そのことを、彼は知らない。
いや、知ろうともしない。

私が諦めたキャリアの上で、あなたは自分のキャリアを築いてきたんでしょう?
喉まで出かかった言葉を、何度も飲み込んできた。

言ったって、どうせ「今さら何を言ってるんだ」「自分で選んだ道だろう」と返されるのがオチだから。
そう、私が選んだ道。
でも、本当にそうだった?
あの時、私に他の選択肢はあった?
「母親ならこうあるべき」という社会の空気と、夫の言葉に、知らず知らずのうちに追い込まれていただけじゃないの?
鏡に映る自分は、すっかり疲れたおばさんだ。
白髪も増えた。
この手は、パソコンのキーボードを叩くためじゃなく、洗剤で荒れてカサカサになっている。
「私の人生、こんなはずじゃなかった」

その思いが、日に日に大きくなっていく。
このまま、レジを打ち続けて、年老いていくの?
諦めた夢の亡霊に、毎晩うなされるように問いかけられる。
「本当に、それでよかったの?」って。
この気持ち、もう無視できない。無視していたら、私が私でなくなってしまう。
後悔だけで残りの人生を埋め尽くすなんて、絶対に嫌だ。
でも、今から私に何ができる?
52歳の、資格もないパート主婦に。
その答えが見つからなくて、今日もまた、ため息と一緒に眠りにつく。
3 美咲さん(45歳・管理職)- 鎧を脱いだら、何も残らない気がして怖い
「美咲さん、さすがです!このプロジェクト、美咲さんなしでは考えられませんでした!」
後輩からの称賛の言葉に、私はいつものように「みんなのおかげよ」と笑顔で返す。
ハイヒールをカツカツと鳴らし、背筋を伸ばしてオフィスを歩く。
誰もが私を「仕事のできる、頼れる上司」だと思っている。

夫も、ママ友も、きっとそう。
でも、誰も知らない。
私が会社のトイレの個室で、声を殺して5分間だけ泣いていることを。
私は、結婚しても、子どもを産んでも、仕事を手放さなかった。
それが私のアイデンティティだったから。
「〇〇ちゃんのママ」だけで終わりたくなかった。
歯を食いしばって、男社会の中で結果を出し続けてきた。
熱のある子どもを病児保育に預けて、後ろ髪を引かれる思いで出張に行った日。
PTAの集まりを断って、白い目で見られた日。
全部、「自分のため」だと信じて、走り続けてきた。
でも、最近、ふと思う。
私は、何のために頑張ってるんだっけ?
朝6時に起きて、朝食と夫の弁当を作り、子どもを叩き起こす。
自分の身支度は15分。
満員電車に揺られて出社し、会議と交渉と部下のマネジメントに追われる。
夜7時に会社を飛び出し、スーパーで半額になった惣菜を買い、息を切らして学童に子どもを迎えに行く。
帰宅後、夕食の準備、お風呂、宿題のチェック、、、すべてが終わるのは、夜11時過ぎ。
そこから、持ち帰った仕事のメールをチェックする。
夫は 「お疲れ様」と言って、ソファでスマホゲームをしている。
私が夕食の準備をしている間も、彼が手伝うのは、せいぜいテーブルを拭くくらい。

美咲はすごいよな。仕事も家庭も両立してて
夫は、まるで他人事のようにそう言う。

両立なんか、できてない。
できてないよ!!
毎日、綱渡りをしているだけ。
いつ、この綱から落ちて、すべてがバラバラに壊れてしまうか、怖くてたまらない。
仕事の鎧を脱いだら、私には何が残るんだろう?
「管理職の美咲さん」じゃなくなったら、ただの「疲れたおばさん」しかいないんじゃないか。
そう思うと、怖くて鎧が脱げない。
でも、この鎧は、もう重すぎる。
この前、娘に言われた。
「ママ、最近笑ってないね。いつも怒ってるか、疲れた顔してる」。
ハッとした。私は、一番大切なはずの娘に、そんな顔ばかり見せていたんだ。

キャリアを守るために、必死でしがみついてきた結果が、これ?
肩も、腰も、心も、ギシギシと悲鳴を上げている。
「もう、頑張れないかもしれない」
その弱音を吐き出せる場所が、どこにもない。
夫はパートナーじゃない。
彼は、私が支えるべき「もう一人の子ども」みたいだ。
このまま走り続けて、私はいつか壊れてしまう。
それは確信できる。
壊れる前に、立ち止まらなきゃ。
でも、立ち止まり方がわからない。
走り続けることしか、私は知らないから。
トイレの個室でタイマーを5分にセットして、私は今日も静かに涙を流す。

アラームが鳴ったら、また「完璧な私」の仮面をかぶって、戦場に戻らなければいけないから。
4 聡子さん(55歳・親の介護中)- 終わりの見えないトンネルで、自分の人生が消えていく
私のスマホの着信履歴は、「母」と「デイサービス」と「ケアマネージャー」で埋め尽くされている。
自分の友達からのLINEは、もう何週間も開けていない。
開くのが、怖いから。

楽しそうなランチの写真や、旅行の報告を見るのが、つらいから。
5年前、実家の父が倒れ、母が認知症の診断を受けた。
一人っ子の私が、介護をするのは当然の流れだった。
夫も「大変だろうけど、頑張ってくれ」と言ってくれた。
最初は、そう、最初は、親孝行のつもりだった。
でも、現実はそんな綺麗なものじゃなかった。
・週に3回、車で1時間かかる実家に通い、掃除、洗濯、買い物、病院の付き添い。
・夜中に「お金を盗られた」と泣き叫ぶ母からの電話で起こされる。
・やっと家に帰れば、夫が「俺の飯は?」と不機嫌な顔で待っている。
「ごめんね、聡子。お前にばかり苦労をかけて」と涙ぐむ父。
「いつもありがとうね」と、一瞬だけ正気に戻った母が私の手を握る。
その「ごめんね」と「ありがとう」に挟まれて、私は身動きが取れない。
「大丈夫だよ」と笑うしかない。
本当は、大丈夫じゃない。叫び出したいほど、つらいのに。
夫は、完全に他人事だ。

お前の親なんだから、お前がやるのが当たり前だろう
介護の費用で家計が苦しいと訴えても、「俺の小遣いは減らせないからな」と釘を刺される。
私が実家でボロボロになっている間、彼は趣味のゴルフに出かけていく。

そりゃそうだよね、血の繋がらない親の面倒を見るのは簡単じゃないよね。
でも、私はあなたの妻でしょう?
私がこんなに苦しんでいるのに、どうして「大変だな」の一言もかけてくれないの?
どうして、背中をさすってくれないの?
私の人生は、どこに行ったんだろう。
好きだったガーデニングの庭は、雑草だらけ。
読みたかった本は、積まれたままホコリをかぶっている。
友達と温泉旅行に行く約束も、もう何度キャンセルしたかわからない。
私の時間は、すべて「親の介護」と「夫の世話」に吸い取られていく。
まるで、私の人生が、少しずつ消しゴムで消されていくみたいだ。

このトンネルに、終わりはあるの?
親を見送った後、私には何が残るの?
その時、隣にいる夫と、私は笑い合えるの?
想像できない。
そこにあるのは、きっと燃え尽きて、何も感じなくなった私と、相変わらず自分勝手な夫との、静かで冷たい時間だけ。
「誰か、助けて」
声にならない叫びが、胸の中でこだまする。
でも、誰に? どうやって?
介護を投げ出すことはできない。
でも、このままじゃ、私が先に壊れてしまう。
親不孝だと思われてもいい。
薄情な嫁だと思われてもいい。
もう、限界。私は、私の人生を生きたい。

たった一度きりの、私の人生を。
5 香織さん(49歳・仮面夫婦)- 静かすぎて、心が凍えて死んでしまいそう
私たちの家に、喧嘩はない。
怒鳴り声も、物が飛ぶ音も、一切ない。
ただ、恐ろしいほどの「無音」があるだけ。
夫は、仕事から帰ってくると、黙ってスーツを脱ぎ、黙ってシャワーを浴び、私が作った夕食を、テレビを見ながら黙々と食べる。
私が「今日、こんなことがあってね」と話しかけても、「ふーん」「へえ」「そう」という相槌だけ。
彼の目は、一度もテレビから私に向けられることはない。

食事が終わると、彼は書斎にこもる。
私が寝室に入る頃には、彼はもうベッドで背中を向けて寝ている。
「おやすみ」の言葉もない。
朝も同じ。先に起きた方が、静かに出ていくだけ。
私たちは、いつからこうなってしまったんだろう。
子どもが大学で家を出てから、夫婦二人の生活が戻ってきた。
私は、少しだけ期待していた。
また昔みたいに、二人で映画を観たり、旅行に行ったりできるんじゃないかって。
でも、現実は違った。
子どもという「かすがい」がなくなったことで、私たちの間に何も繋ぐものがないという事実が、残酷なまでに浮き彫りになっただけだった。
暴力があるわけじゃない。
借金があるわけでも、浮気をされているわけでもない。
周りから見れば、何の問題もない「穏やかな夫婦」に見えるだろう。
だから、この苦しみを誰にも言えない。「贅沢な悩みだ」って、思われるのが怖いから。
でも、この静寂は、心をゆっくりと殺していく。
まるで、冷凍庫の中にじっと座っているみたいに、感覚が少しずつ麻痺していく。

嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい。そんな感情さえ、だんだん分からなくなってきた。
長年連れ添えば、情熱がなくなるのは当たり前だって言う人もいる。
でも、これはそういうことじゃない。
情熱じゃなくていい。
ただ、人としての温かみがほしいだけ。
今日あったことを笑って話したり、「疲れたね」って労い合ったり、ただ、それだけでいいのに。
この前、勇気を出して言ってみた。

ねえ、私たち、これからどうするの?
このままでいいの?
夫は、一瞬面倒くさそうな顔をして、こう言った。

何が不満なんだ?
飯も食えて、家に住めて、何の問題もないじゃないか。
その言葉で、プツンと、私の中で何かが切れた。
ああ、この人には、私のこの孤独も、虚しさも、絶望も、何も見えていないんだ。
彼は「問題ない」と思っている。つまり、この地獄のような静寂が、彼にとっては「平和」なんだ。
もう、無理だ。
この人と、これからの30年、40年を一緒に生きていくなんて、考えられない。
それは、生きながら死んでいるのと同じだ。
「離婚したい」
はっきりと、そう思った。
でも、その先には何がある?
経済的な不安。一人になる孤独。世間の目。考えれば考えるほど、足がすくむ。
でも、この凍えるような静寂の中にいるよりは、どんな嵐の中に飛び込む方がマシな気がする。
私は、もう一度、笑いたい。
心の底から。誰かと温かい食卓を囲みたい。

そのために、私には何ができるんだろう。何から始めればいいんだろう。
6 さいごに
5人の物語を読んで、一つでも共感するものがあったなら、どうか、それを一度、お話ししてみませんか。
こんな相談、してもいいのかな?
そんなふうに思わなくて大丈夫です。

私はいつでも、あなたの味方です。
あなたの本当の気持ちを一緒に見つけて、後悔のない未来を、ゆっくり探していきましょう。
ご相談は無料です。
もちろん、あなたが話してくれたことは、誰にも伝わりません。
メールでもLINEでも、どうしよう、と迷ったときは気軽に連絡してくださいね。
人生100年と言われる時代、今は、まだ道の途中です。
ここから始まるあなたの人生は、きっと、これまでと違う景色を見せてくれます。
新しい物語を始めるのに、遅すぎるということは絶対にありません。
もし、このブログが、あなたが未来に向けて一歩を踏み出すそのきっかけになれたのならそれ以上に嬉しいことはありません。



